「普段気にしたこともない自分の細胞が、誰かの生きる素になるなんて、本当に素晴らしいことだと思います」と語ってくれました。
PROFILE
高見かほる(たかみ かほる)さん
東京都在住
いつドナー登録をしたのか、実はよく覚えていないのですが、登録後すぐに適合通知がきたわけではありませんでした。もともと献血が好きでよくしていたので、ドナー登録も登録できる年齢になった頃には済ませていたのだと思います。
私は、とにかく誰かの役に立ちたいという思いが強く、献血のたびに血液をほめてもらっていたこともあって、自分にできることはこれが一番だと思っていました。
ドナーの適合通知が来た頃にも、毎月いろいろな献血場所を訪れていましたので、実際に適合通知を受け取ったときは、そこまで驚くこともなく、「あ、やっぱりね」という謎の確信があったので、何の躊躇もなく受け入れました。私の母は娘がドナーになることに驚き、採取について不安を感じていたようでした。
職場の上司が、私がドナーとして骨髄提供することにとても理解を示してくださり応援してくださいました。一方で会社を休むということをあまり良く思っていただけない方も残念ながらいて、「この忙しい時に...」など言われたりもしましたが、上司が間に入ってくださり業務の調整をしてくださいました。
14年ほど前の当時は、そもそも骨髄バンクやドナーについても認知されていませんでした。ドナーになることや、骨髄提供のために会社を休むということがまだ珍しく、私の会社内では初めての事例でした。まだドナー休暇制度についても整備されていませんでしたから、業務がとても忙しい時期だったのにも関わらず、確認検査や入院するためのお休みを確保できたのは、ひとえに上司の理解と協力があったからと言っても過言ではありません。
私が入院した部屋は、「一番良い部屋です!」とコーディネーターさんに言われ、とても嬉しかったです。入院に関しては可もなく不可もなく、と言った感じでした。
いざ、採取はというと、眠っているうちに終わってしまったので、記憶はありませんが、採取後の症状がたいへんでした。
まず、骨盤の痛みがしばらくあり、針を刺した場所の痛みについては退院後も2週間くらい続きました。また、採取後で一番辛かったのは入院中続いた吐き気と嘔吐でした。入院中は母がずっと付き添っていてくれたので乗り越えることができました。
帰宅する際は電車で帰ることにしていましたが、めまいと貧血がひどく、途中からタクシーを利用させてもらいました。職場復帰後もしばらくは「いつもとちがうな」「なんだかフラつくな」という感じが少しは残りました。ただ、私は献血のときに毎回看護師さんに血液を褒められるくらい元気な血液と血管だったため、気がつけば普通の生活に戻っていました。
自分で言うのもなんですが、私が骨髄提供できたことは本当に誇らしい出来事だと思っています。
近年では骨髄バンクのドナー登録や提供について世間の認知度やドナーに対する様々な制度が全国規模で広がっていて、住んでいる自治体によっては助成金の給付を受けられることもあると知り驚いています。
ただ、このような体験ができたこと、誰かの役に立てたこと、これは本当に何事にも変えられないことだと思っております。
普段何気なく元気に生活している身体の中で、何も気にしたこともない細胞が誰かの生きる素になるなんて、本当に素晴らしいことだと思います。
そして、今は世の中が味方してくれているとても良いタイミングだと思います。適合通知がくるまでドナー登録したことを忘れていた私が言うのもなんですが、迷うならとりあえずドナー登録してみてください。それで助かる、助かって喜んでもらえる命があることは変わりない事実です!












