コロナで2度の延期を乗り越えて移植へ。「これからはドナーさんはじめ治療でお世話になった社会へ行動で感謝を示していきたい」と、体験談を語ってくれました。
PROFILE
杉本 圭嗣 (すぎもと けいし)さん
杉本 圭嗣 (すぎもと けいし)さん
静岡県在住
急性リンパ性白血病と診断。骨髄バンクを介して骨髄移植を受ける。
老人ホーム・介護施設照会センターを経営。
2023年夏頃からはじまった微熱がきっかけでした。当初は新型コロナウイルス感染を疑い検査を受けましたが陰性。やがて、微熱に加え激しい倦怠感、さらに腰や大腿部に痛みが生じはじめました。当初は夏バテかと考えていたものの、症状は悪化の一途をたどりました。
当時の生活は、痛み止めを服用しながら仕事や夏休みの旅行など、非常につらかったです。
決定的な変化があったのは、体調の変化を自覚してから1か月を過ぎた頃のことです。
ついに自力で動けないほどになり、整形外科を受診。レントゲンやMRIなどの検査では異常が見つかりませんでしたが、念のために受けた血液検査で、白血球の数値が4万以上という異常値を示しました。この結果を受け、すぐに血液内科の受診を勧められ、数日後には入院という運びになりました。
突如として下された白血病という診断に、心はすぐに追いつきませんでした。
病名を告げられた当初は受け入れが難しく、入院後の約2週間は、まるで夢の中にいるような感覚で過ごしました。
病名について検索しては深く落ち込み、なかなか始まらない抗がん剤治療に対して苛立ちを覚えるなど、複雑な心境でした。
毎週、造血細胞移植コーディネーターさん※がもってくる進捗状況が心の救いでした。
最初に適合通知を送った10人から先に進む人が減るたびにがっかりしていました。
ドナーさんが決定した時には、喜び多くの知人に連絡したことを覚えています。
しかし、移植入院後にドナーさんがコロナになり延期になりました。
誰も悪くないのですが、医師や看護師さんコーディネーターさんが私に申し訳なさそうに説明されていました。
その時は冷静でしたが後から涙があふれてきたことを、はっきり覚えています。
その後、ドナーさんは変更となりましたが、その方もコロナになり延期になりました。
なかなかプラス思考になれず、気持ちが沈んだ日々が続きました。
3度目の正直で、当初よりも4か月遅れで移植を受けることが出来ました。
造血幹細胞入りのパックが届いたときは、2度、延期になっているので、実際届いたと聞いた時にはこれで入退院から解放されて、普通の生活が始まると嬉しくなりました。
※病院で血縁/非血縁のドナー/患者の対応を行う専門家
何も治療しなければ、生きてはいけない病気になり、色々気づきがありました。
医師、看護師、コーディネーター、事務員、クリーンルームにいた時の長時間の話相手のをしてくれた清掃スタッフ、栄養士、pt(理学療法士)、同じ病棟に入院していては話相手になってくれた患者さん等すべての関係者に感謝です。
会ったことはありませんが骨髄バンクの関係者、合計50回近く輸血をしましたので献血をしてくれた方、勿論ドナーさんにも感謝の気持ちでいっぱいです。
また、医療、社会保険制度にもとてもお世話になり感謝しきりです。全額自己負担なら治療は継続は出来ていないと思います。
最後の入院から退院して1年が経ちました。お世話になった社会へ行動で感謝を示していきたいと思います。
退院後しばらくは、毎週通院がありました。少し歩くだけでも大変でした。
働き始めた時には、すぐに疲れてしまい情けない気持ちが強かったです。
最後の入院から退院して1年が経ちました。血液の状態も安定し、通院頻度も月1回になりました。
仕事は、病気前と比べるとまだセーブしていますが毎日忙しく働けています。
また、以前からやっていた仕事の延長で居住支援法人の登録を受けました。
ほとんど売り上げには貢献しない事業ですが、困っている人の支援が出来るような仕事です。
移植で入院していた病院からも依頼を頂くこともあり、自分の入院していた病棟の、私と同じ病気の患者さんのお力になれたことが本当にうれしかったです。お世話になった看護師さんにも会えてうれしかったです。
大病を患い、時間が有限であることを強く感じました。家族、友人との時間をより大事にしていかなければと思います。
発病した時にバケットリストを作りました、悔いのない人生をこれから送ろうと思います。
今年の夏には、念願の家族旅行に行くことができました。












