10代で再生不良性貧血を発症した海老さん。同じように闘病している方へ、「できないことばかり数えがちだけど、できることの中で楽しみを見つけてほしい」と語ります。

PROFILE
海老 美緒(えび みお)さん
14歳で再生不良性貧血を発症。
17歳で移植を受ける。
中学の部活動中に鼻血が止まらなくなったことがきっかけでした。それまでも鼻血は出ていたのですが、あまりにも止まらなかったため、親に迎えに来てもらって病院で採血検査を受けました。次の日に病院に行くと「数値が異常なので大きな病院に行ってください」と言われ、検査入院をして病気がわかりました。
病名を聞いたときは再生不良性貧血がどういう病気かわかりませんでした。「ひどい貧血か~」と思っていたのですが、病院の先生から、鉄分を運ぶ血液細胞がいないから、鉄剤を入れたところで治らないと言われて初めてどういう病気なのか知りました。
中学校ではソフトテニス部に所属していて、病気が分かった2か月後に中学最後の大きな試合がありました。「なんで今?」と思ったのを覚えています。
最初は薬だけで治療していました。病気に対する薬と、その副作用に対する薬。飲み薬を毎食20錠くらい飲んでいたと思います。
通院で治療をしていたので、体育は禁止でしたが、食事も含め他は特に制限がありませんでした。高校生になると自分の体にも慣れてきて、「今日の体調ならこれくらいまで動いても大丈夫」という感覚がわかってきました。学校まで行く途中、歩いているときの感じでその日の体調がわかるようになって、必要な時には保健室に行って早退させてもらうことなどもありました。
数年間投薬治療を続けていましたが、だんだん検査の数値が悪くなっていき、輸血が必要になってきました。学校で倒れてしまい、翌日検査をしたところ、ヘモグロビンの値がとても低くなっていて、頭を打った影響で眼底出血もありました。本当はあと1年後ぐらいに移植を検討しようという話になっていたのですが、前倒しすることになり、慌てて家族の白血球の型を調べ、骨髄バンクに患者登録をしてドナーさんを探しました。
ドナーさんはすぐに見つかりました。骨髄移植がどういうものかは調べていなかったので、何にも怖くないと言ったら嘘になりますが、「一か八か、それしかない」と思っていました。ただ、親は私の知らないところで移植について調べたり、内緒で骨髄移植を受けた患者の会にも行ったりしていたそうです。
移植当日、天候の影響で交通が麻痺してしまい、13時から移植を行う予定が20時からに変更されました。主治医の先生が、スーツの上に急いで白衣を着て移植が始まったのを覚えています。最初点滴はゆっくり入れてもらっていましたが、時間が経つと骨髄液が悪くなってしまうということで、だんだん点滴のスピードが早くなっていきました。
移植の当日は酷い頭痛でまったく眠れなかったのですが、その後のGVHDはあまりひどくありませんでした。