1993年に慢性骨髄性白血病と診断、1995年に骨髄移植で完治。移植後に結婚、お子さんも誕生し、現在美容師として忙しい毎日を送っている。
PROFILE
白水豊さん
病気だと判ったのは27歳のとき。北海道から上京して7年目、美容師として赤坂の店に勤めているときでした。ホントに偶然で、ある土曜の晩、仕事が終わってからクラブに遊びに行って、そこで何かに脚をぶつけたんです。ノリがよくて混みあっているクラブではよくあることなんで、そのときは気にも止めなかったんですけど、翌日になったら脚が張れあがって、ズボンが履けなくなっちゃったんです。あまりにひどいんで病院に行ったら入院を勧められました。でも、入院するほどもないだろうと思ってその日は仕事に戻りました。休日に1日家で休んでいたのですが、良くならないばかりかもっとひどくなるような感じで。これは骨でも折れてるのかと思って、「やっぱり入院させてください」と再度病院へ。血液検査を受けて、白血球の数値が異常に高いということが分かり、別の病院で詳しい検査をすることになったんです。最初、先生から言われた病名は「類似性白血病」というものでした。「白血病みたいな病気だけどすぐに治るよ」なんて言われたんですが、それと同時に「親御さんを呼んでください」と言われました。はっきり言って勘弁してくれって感じでしたね。なにせ親は北海道から来るんですから、時間も費用もバカにならない。でも両親は病院からの連絡で、僕より先に病気のことを知っていたみたいで、告知や治療に関する相談で都合3回も東京まで駆けつけてくれました。告知を受けたとき、親の驚く顔を間近で見ていて、とても残酷なことを聞かせているようで申し訳なく思ったのが記憶に残っています 。
病気が判って、当面はハイドレアという抗ガン剤の服用と、インターフェロンの自己注射で治療していくことになりました。でも2、3年で急性転化する可能性があるので、ゆくゆくは骨髄移植をしないと完治しないとも言われました。その時に親と妹、弟の骨髄を調べましたが、誰とも一致しませんでした。それで骨髄バンクに患者登録をしたんです。一方、妹と弟は「誰かの役にたつなら」と骨髄バンクにドナー登録してくれました。
僕は病状が軽かったというせいもあって、病気のことも骨髄移植も最初はすごく簡単に考えていたんです。「移植すれば治るんだから」という感じで。でも、病院に通ううちに同じ病気の仲間ができ、次第に「自分も助かりたいし、友人も助けたい」という気持ちが強くなって、ボランティアに参加するようになりました。直接は患者仲間から誘われたのがきっかけです。当時勤めていた店のスタッフも骨髄バンクをすごく応援してくれて、勤務を続けられたものももちろんですが、お店に骨髄バンクのパンフレットを置いてくれたり、署名活動などにも協力してくれたのがすごくありがたかったですね。
そんなふうに治療を続けるうち、94年の10月にドナーさんが見つかりました。当時、血小板の数値が高くなってきていて、先生から「急性転化しかかってるのかもしれないね」なんて言われてたんです。でも僕自身の自覚はまったくなくて「本当に病気なのかな」と思うことのほうが多かったですね。普段はまったく問題ないんです。でもインターフェロンを注射した日は具合が悪い。若干髪の毛も抜けてくるし、治療してるというより、具合悪くなるために注射してるような感じでした(笑)。
94年の年末は北海道の実家で過ごし、年明けに東京に戻ってからすぐ移植のための入院に入りました。20日ぐらいは普通の病室なんですが、移植の1週間前から無菌室に入り、移植のための前処置を受けるんです。無菌室では毎日朝、昼、晩、4時間おきに抗がん剤を飲むんですが、これがキツかったですね。薬の副作用で吐き気がするんですが、1日の終わりには気持ち悪くて手が震えてくるんです。今まで味わったことのない感覚でした。そんな治療を経て骨髄移植を迎えました。
僕の場合、移植そのものはすごくうまくいって、移植後のGVHD(拒否反応)も軽く、移植後1年半で仕事に復帰することができました。以来ずっと元気にやっています。そればかりか、移植後に子どもが生まれるという予想外のこともありました。
骨髄移植を受けたら、抗がん剤などの影響で子どもを持つのはまず無理だと言われています。ところが移植から3年後に、彼女が妊娠していることが分かり、結局できちゃった結婚。ボランティア仲間から「珍しい!」「特殊ケースだ!」と散々言われ、嬉しい反面「特別」と言われることが気になり複雑な心境でした。その後、他の患者さんの中からお子さんをもうけた方が出て、僕だけじゃないことが分かって安心しました(笑)。また僕らのようなケースがもっと増えて、白血病の治療後、不妊で悩んでいらっしゃる方たちが希望を持てるようになればいいなと思いますね。
その後紆余曲折あって、今は独身に戻りましたが、骨髄移植が受けられたことは今でも感謝しています。今僕が生きているのは、骨髄バンクという組織があったこと、提供に同意してくれたドナーの方がいたこと、周囲の理解や励ましも含めて、骨髄移植に関わるいろんな人たちのお陰だと思うんです。僕の経験が今病気と闘っている患者さんへの励ましになると同時に、骨髄バンクという活動やドナーを知るきっかけになれば嬉しいです。