Vol.0013

「杖をつく」ライター石原さんは今年、ご自分の闘病経験を「血液型が変わっちゃった!」というタイトルで1冊の本にまとめました。

地元・関西に戻って会社を立ち上げた直後の急性骨髄性白血病の発病。その治療中に知り合い、再発を一緒に乗り越えた奥さんとの出会い......。「骨髄移植でもう一度この世に生きるチャンスを貰った僕ら元・患者にとって、ドナーさんは"お母さん"と同じ、すごい存在なんです」

みんなのストーリーより「石原靖之さん」

PROFILE

石原靖之さん

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「杖をつく」ようになったのは、白血病の再発が「腫瘍」という形でやってきたためです。最初の入院中に出会った妻と結婚して4カ月目、東京に戻ってまた出版業界で働きはじめた矢先でした。突然、わき腹のあたりに差し込むような激痛が起こったのをきっかけに、腰や腹のまわりのあちこちに激痛が走るようになってしまった。最初は原因が分からず、医者でも「ヘルニア」といわれて鎮痛剤を貰ったりしてたんです。

そんな生活が2カ月以上続いたある日、急に腰から下の感覚がなくなって、立てなくなったんです。これにはすごく焦りましたね。病院に担ぎ込まれ、あらためて調べてみたら、胸椎(背骨の胸の部分)のなかに腫瘍ができて、下半身の神経を圧迫していたんです。下半身マヒですから、汚い話、下の世話を妻にしてもらわなくちゃならない。これは精神的に非常にキツかったです。なんたって、お互いまだ新婚ほやほやでしたから。でも、ほかに道はなかったんです。

手術して腫瘍を取り除いたら、それが白血病性の腫瘍だということが分かった。しばらくしたら、同じ腫瘍が今度は脳に転移し、次は右手がマヒ。幸い放射線治療で消えてくれましたが、「絶対に治る」と思って退院し結婚したのに、1年もたたないうちの再発で、せっかく前向きで生きようという決心も、このときはさすがに崩れかけました。

その状態を乗り切れたのは、周囲の人の励ましがあったからです。僕らの友人、家族、妻の恩師、いろんな人から励ましをいただきました。主治医や看護師さんたちには、毎日看病に通う妻もいろいろといたわってもらって。1年目の結婚記念日は病棟スタッフの皆さんがパーティーを開いてくれて、寝たきりの僕が妻にプレゼントを渡すなんてこともできたんです。



 

移植当日は、担当の先生が直接骨髄液を受け取りに行ったんです。看護師さんから「今、電車で取りに行っています」と聞いて、最先端の医療なのに意外なところがローテクなので、ちょっと驚きました。車じゃないのは、渋滞や事故に巻き込まれないためなんだそうです。

これは後日談ですが、骨髄バンクの調整医師として活動している先生は、最終同意のときに提供しますとドナーさんが言うのを聞くと毎回感激する、そのドナーさんがとても尊い存在に見える、とおっしゃっていました。その話を聞いて僕も妻も感動しました。ドナーになるって、本当にすごいことなんです。そんなすごいことをしてもらったからには、「どうやって生きていこう」なんて悩んでいられない。そのぶん自分のできることを精いっぱいやって、それが少しでも人の役に立てたらなお嬉しい、素直にそんな心境になりました。

移植後、一時期生死の境をさまよったときもあったんですが、それを乗り越えたら GVHDもさほどひどく出ずに退院できた。そのあとすぐ、脚のリハビリのために再入院したんです。最初は車いす生活だと言われましたが、つかまり立ちから始まって、歩行器での歩行、2本杖での歩行とどんどん回復して、最終的に片手杖で歩行できるようになりました。今は趣味のアウトドアにも出かけて、杖つきながらテントを張ったりしています。そうすると、いろんな人が「手伝いましょうか」なんて声をかけてくれるんですよ。

病気をして、障害者になりましたが、「書く」仕事のほうでは、「医療」や「障害」、「福祉」といったジャンルに仕事の幅が広がりました。今年、自分の体験を本にしてみて、単行本というものにも、もっと挑戦したいと思っています。それもみんな骨髄移植を受けることができたお陰です。この先まだ、どんな可能性が広がっているかも分からない、新しい人生をくれたドナーさんへの感謝の気持ち。僕も妻もずっと感じながら、これから生きていくと思います。







 

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