移植を経験した方でないと分からない身体的な辛さや思いを語っていただきました。
幼少期より蚊のアレルギーと言われていましたが、研究が進み、20歳のとき慢性活動性EBウィルス感染症と診断されます。平野さんは小学校の養護教諭で保健室の先生として働いています。26歳で骨髄移植を受け、現在は元気に回復し復職しています。
PROFILE
平野真理さん
子供のころから蚊に1匹でも刺されると、水ぶくれができて、えぐれて傷になってしまう体質でした。ひどいときには、リンパが腫れて、高熱を出すこともあったため、蚊のアレルギーであろうと言われてきました。
私が20歳くらいの時には研究が進み、この症状は蚊のアレルギーではなく血液の病気ではないかと言われ、詳しい検査を受けることにしました。その診断名は、慢性活動性EBウィルス感染症。EBウィルスは、ほとんどの人が感染していますが、通常は特に悪さをしません。非常に稀なケースで原因は分かりませんが、このウィルスが増殖し、身体を攻撃する病気です。私の場合は、このまま放置しておくと悪性リンパ腫や白血病になってしまうため、元気なうちに骨髄移植をしたほうがよいと医師から言われました。ただ、通常に生活は元気に過ごせていたので、時期をみて将来的に移植をしようということに。私は、いつかは移植するという覚悟はありましたが、家族には、「蚊にさされなければいいだけで、元気なうちに辛い治療する必要はない」と反対されました。
私は骨髄移植を軽く考えていました。主治医から言われた「結婚したいのでしょ。子供も産みたいと思っていたら今のうちにしておいたほうがいいよ。大丈夫だから」という言葉に、簡単に「じゃ、やります!」と答えたことに後悔しました。主治医にだまされたとは思っていませんが、もうこんなに辛いことが人生にあるのかと・・・。
本当に前処置は辛かったです。移植の10日前から始めて移植前日まで行いました。強い抗がん剤を使用している副作用で、熱が下がらず一日中、下痢・嘔吐の繰り返しでした。何よりも辛かったのが、クリーンルーム※で過ごすため、外部の人との関わりがほとんどなく孤独との闘いと社会との接点がなくなってしまったことでした。
最初は妹とHLA型が合うか調べました。兄弟姉妹間では4分の1の確立で合うと言われていますが、合わずに骨髄バンクでドナーを探すことになりました。一番初めに検索をすると6人くらい適合するドナーがいて、本当に運がよくフルマッチの方が提供してくださいました。ドナーさんには本当に感謝です! 移植後の拒絶反応(GVHD)は、終わりの見えない闘いでした。いつ治まるか分からない状態で、「この辛さをずっと味わうのであれば死んでしまった方が楽になるのに」と思ったこともありました。前処置とは比べものにならない苦しさが続きました。あれはなんだったのでしょうね・・・。
入院中は食事制限が厳しく、生野菜・乳製品(ヨーグルト、チーズ、生クリーム)など、一切生ものは食べられませんでした。退院したら「ラーメン、焼肉食べよう!」と決めてすぐに実行しました(笑)。また、退院した後の日常生活も、普通の人と比べるとまったく違っていました。仕事もできない、食べたいものも食べられない、好きなところに行けない・・・。移植前との自分にギャップを感じ、精神的にも辛かったです。
※徹底した空気清浄を行った部屋で、移植前後の患者さんが治療のため入る病室。無菌室とも言う。
仕事は小学校の養護教諭で保健室の先生をしています。学期途中で突然入院となったため、生徒から手紙をたくさんもらい自分が骨髄移植を受けることを伝えました。退院して1年後に復職することができましたが、移動教室で仲良くなった高学年の生徒たちは卒業していました。卒業した生徒たちは「先生、死ななくてよかった!」と、私を訪ねてきてくれました。
本当はもっと前に復職する予定でしたが、仕事でインフルエンザなどの感染症に触れる機会が多いため、免疫が安定しない時期に大きな病気になるリスクがあるとのことで半年後に泣く泣く延期。ちょうど同じ時期に異動した先生がいるのですが、その先生も大学生のときに骨髄移植を受けた経験がある方でした。こんなに身近にいるなんて驚きですが、移植後元気になった人の姿を見ることが一番勇気付けられました。