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(このインタビューは、日本骨髄バンクニュース第53号[2018年12月5日発行]でもご紹介しています)
もともとサッカー選手になることと、教師になる夢をもっていました。大学は文武両道で教育機関が充実し、サッカー部は関東1部リーグにも所属していたので、Jリーグに進むのに一番いい選択だと思って選びました。でも大学3年のとき初めて2部リーグ降格。翌年1部リーグに返り咲きました。主将としてもやり抜いたという思い出があります。
大学卒業後に地元に戻り、16年アルビレックス新潟に加入し、そのシーズン開幕前後から次第に異変を感じて、思うように体が動かなくなっていきました。5月初旬に急性リンパ性白血病とわかりました。チームに貢献できていないというストレスのほうが大きかったので、宣告されてほっとしたのを覚えています。でも、もうサッカーをやめなければならないかと。クラブは僕の病気がわかったときから「チームとしてできるだけのことはしたい」と全面支援を打ち出してくれました。それがもう1回サッカーをやっていこうと思えたきっかけです。姉と弟はHLA型が一致せず、骨髄バンクでドナーがすぐ見つかり、11月に移植しました。
一番つらかったのは移植を受ける前の前処置(放射線照射と強い抗がん剤で自らの造血幹細胞をゼロに近い状態にする)のときです。無菌室に入って、人と直接話すことがどれだけ大事か、安心できるかを痛切に感じました。この経験から、その後、人との接し方や自分の気持ちの持ちようが変わったのだと思います。移植後、口やのどが荒れて水も飲めないのはきつかった。ずっとベッドに横たわってじっと耐えていました。つらいといっても「サッカーの練習に比べたらまだこんなものか」と思ってしまうので、つらさの感じ方は周りの人には理解されにくいかもしれませんね。
病気を乗り超えることができたのは、周りの声援が一番大きかったと思います。サポーター、チームメート、友人たちの前向きで温かい気持ちにずっと支えられました。そしてもう1回サッカーがしたいという強い思いです。病気を通じて、人と積極的に関わるようになり、何か思い立ったらすぐ行動するようになりました。もともとポジティブな性格ですが、それまでは自分から行動することはあまりなかった。どういう人を勇気づけなければならないか目標が明確になりました。小児病棟訪問などにも参加しています。これからもサッカーに関わっていきたいし、自分が経験したことを大事にしながら活動していきたいと思います。
日本では「骨髄バンク事業」が1992年から開始され、 これまでに多くの患者さんを救う実績をあげています。 しかし、日本の骨髄バンクで骨髄移植や末梢血幹細胞移植を必要とする患者さんは、毎年少なくとも2000人程度です。一人でも多くの患者さんを救うためには、一人でも多くのドナー登録が必要です。
ドナーを待つ患者さんにとっては、あなたの登録が、大きな希望になります。
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骨髄バンクの運営には多額の資金が必要です。公的な補助金も受けていますが、十分ではありません。運営資金の多くは患者負担金と善意の方々の寄付金によって支えられています。移植を待っている患者さんのためにも皆さまのご協力をお願いします。