Vol.0023

「治療中苦しかった記憶はあまりないんです」病気を通じてたくさんの人と出会い、新たないのちを生きる姿がありました。

北アルプスの麓、四季折々の豊かな自然に育まれた地で成長した曽根原さん。走るのが大好きだった中学3年生(2011年)の秋、文化祭を終えた直後に白血病と告げられ闘病生活に。翌年4月に骨髄バンクを介して骨髄移植を受け、7月下旬から高校生活をスタートすることができました。現在は持ち前の人を明るくする才能を活かし社会人として元気に活動。
(このインタビューは、日本骨髄バンクニュース第55号[2019年12月4日発行]でもご紹介しています)

みんなのストーリーより「曽根原眞(そねはらまこと)さん」

PROFILE

曽根原眞(そねはらまこと)さん

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抗がん剤治療は副作用がほとんど出ませんでした。吐き気もなく食欲が異常に出て、病院食だけでは足りず、いつも何か食べていました。
ゲームばかりしていましたが、院内学級へ行くようになってからは、受験生らしく勉強もやり始め、中学の定期テストも受けていました。志望校を変更し、治療日程を受験日に合わせてくれた病院の先生方や、中学校と高校の先生方の全面協力で試験を受けることができました。
合格発表の日に再入院しましたが、退院後の行き先が決まったことは、入院生活の大きな励みになりました。入院中にもらった色紙や三千羽鶴も大きな支えでした。
7月下旬ちょうど一学期の終業式の日に退院し、そのまま高校へ直行。なんとかホームルームに間に合い、ここで初めてクラスメイトと顔合わせをしました。同じ中学から入った子たちも多かったので、すぐなじみました。夏休み明けの文化祭のクラス発表会では、皆と一緒にダンスも踊りました。移植後の後遺症も少なく、わりと元気でしたね。部活は陸上部。前と同じように走ることはできなかったので、マネージャーを務めました。
高3のとき、先輩から引き継いで文化祭の実行委員長になりました。伝統的にアジア・アフリカ難民支援活動を行っている学校で、物資を集め、バザーを開き難民支援を行いました。そういうことに興味があったし、楽しかったです。
鉄道が好きなので、高校卒業後は鉄道トラベルの専門学校に進みました。現在は鉄道関係の仕事には就いていませんが、いつかは運輸関係の道に進めたらいいなと思っています。
怒ることが少なくなったと思います。病院でいろんな子どもたちや普段接することのない大人たちと出会って、誰とでも話ができるようになりました。小児科病棟のハロウィンパーティーに参加して、引きこもりから吹っ切れたのが大きかった。自分の置かれている状況の中でいかに楽しく前に向かって進んでいくかという姿勢がそこで身についたように思います。
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