Vol.0021

仕事のかたわら、骨髄バンクの講演会や支援活動を積極的に行っています。

石井さんは大学在学中の21歳のとき急性骨髄性白血病を発症し、22歳で骨髄バンクを通じて骨髄移植を受けました。 移植後に復学し、自らの移植経験を通じて考えたことを卒論のテーマにしました。
(このインタビューは、日本骨髄バンクニュース第52号[2018年7月4日発行]でもご紹介しています)

みんなのストーリーより「石井希(いしいのぞみ)さん」

PROFILE

石井希(いしいのぞみ)さん

0
治療が始まってからは、身体的なつらさはありましたが、周囲の支えもあってさほど落ち込むことなく治療することができました。
でも、病気がわかった時は取り乱しましたし、大学生活は部活の競技ダンスをがんばっていたので、ペアを組んでいたパートナーに「何て言ったらいいだろう」と思いました。特に4年生は最後の年になるからもっと結果を出したいと、部活全体でがんばっていた時でしたから。パートナーは最初、自分もやめると言いましたが、私のためにも結果を残してほしいと伝え、最後の大会までほかのパートナーとがんばってくれました。
入院中、ダンスのことはずっと考えていました。みんなの大会の成績や動画を見て、自分も踊りたいなと思っていました。今は元気になったけれど、体力的にまだ踊れないので、いつか得意のラテンダンスを踊りたいですね。
ドナーさんの骨髄液を見たときは、「こんなにたくさん提供してくれたんだ」とありがたい気持ちしかなかったです。移植するときは、「思ってたよりも、ゆっくりドナーさんの骨髄液を入れていくんだなあ」と驚きもしました。
移植後のつらかった時期を経て、血液型はA型からO型に変わりました。移植後、輸血するとき血小板はA型、赤血球はO型で違うものを入れていたんです。ドナーさんからもらった命が自分の中にあって、今混ざってるということを感じ、生まれ変わった感じがしました。
でも退院してから1年間は、発熱やじんましん、足の痛みと、多いときは3日に1回くらいのペースで通院が続きました。
卒論での調査で実施したアンケートによると、若い人たちに骨髄バンクを認知してもらうには、「移植や提供した人たちの体験談を直接聞く機会があるといい」という意見が多かったです。若い人に移植について知ってもらうためには、私のような患者が直接話す講演会が最適だと思います。
ただし、それだけでは限界があるので、大学生ができることを具体化する方法の1つとして、「骨髄バンクユースアンバサダー」の立ち上げに参加しました。10代~20代の骨髄バンクサポーターの育成です。自分がその第1号ですが、母校の学生だけでなく、各大学のボランティアセンターのネットワークを通じて広がっていくことを願っています。
今年4月から、市の就労支援の協力で、病気に理解のある地元の会社で就業時間を調整しながら仕事を始めています。将来的には、移植した経験を仕事に活かせるような職業に就ければいいなと考えています。移植や骨髄バンクを考えるというテーマは、これからもライフワークとして追い続けていきたいです。
一覧へ戻る

患者さんの声」カテゴリーの
最新ストーリー

patient